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明かりの下
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夢見がちなクリエイター志望がそろそろ本気出し始めた。
自分自身のレベルを上げるための練習場です。内容は短編小説のみ。
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DEVIATION -- (1)運命に逆らった者達

2009/11/14 10:45
「smoopy」で見て下さい。
詳しくはページ左のカテゴリの「_smoopy」をクリック。

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風呂上がりの冷蔵庫前のあの時間

2009/10/25 17:00
「風呂上がりに冷えたビールを一杯をぐいっと飲むのが至福、という人間は少なくないが、俺だってそのうちの一人だ。
 ただ、飲むものがビールではなく牛乳であると言うことが他と違っている。ビールのような苦く泡立った謎の黄色い液体なんぞではない。清らかに白く、滑らかな舌触り、すっきりとした飲みやすさ、しかし濃厚な味わい。他の飲み物とは比べものにならない天上の液体。それが、牛乳。ギュウニュウ。ミルク。オレ。молоко
 風呂を上がった直後のこの火照った体に冷蔵庫でキンキンに冷やされた牛乳を流し込むのは、それはもうどんなマッサージ師も、どんなふかふかベッドも、どんな大自然のそよ風も再現できないほど、心地いい。
 もちろんここで牛乳を飲み過ぎると、トイレに強制連行されて、ピーなことやピーピーなことになってしまうのだろう。ああ、これはもちろん放送禁止用語などではない。ん? まあ意味合い的には変わらないか。
 だが、それを恐れると言うことは牛乳に対する冒涜でもあるということ。元来その程度の苦難は受け入れて当たり前なのだ。
 恐れるな、受け入れろ! 疑問を抱くな! 犠牲はつきものだ! 牛乳を腹一杯飲むことだけを考えろ! たとえ下痢が日常茶飯事でも!
 んぐ、ん、んぐ、ぷはぁっ。
 そうこう話しながら飲んでいるうちにもう5杯飲んでしまったか。いや、6杯だったか? フ、俺もまだまだ甘いな。どれだけ飲んだか忘れるとは、未熟と言うことだな。
 そういえば、正也は一日に1,2杯しか飲まないと言っていたな。あいつは何を考えているんだろうか。こんなにも至高の飲み物を自ら制限するなんて。
 ん? どうした、兄貴? 『コーヒーとか、お茶とか、別の飲み物を飲んでいるんだろう』だって? それは余計にわからない考え方だな。あんなもの豆や葉っぱを洗った生活排水だろ? 米のとぎ汁と一緒さ。だいたいあんなものを好んで飲む連中はカフェイン中毒になっているだけさ。たばこが止められないのと一緒だよ。
 あっ、やめてくれ、兄貴。俺を押し退けようとしないでくれ。まだ風呂上がりの牛乳を楽しんでいる時間なんだ。牛乳を飲みたいのはわかるが、あと20分ほど待ってくれ!
 ふんっ! く、チィッッ!!!
 ……え。違う? 『冷蔵庫の中のプッチンプリンを取り出したい』? なんだそれならそうと早く言ってくれよ。ほら、これだろ。
 ああ、兄貴のせいで少し牛乳がぬるくなってしまった。せっかく風呂上がりでうっすらと汗をかいていた体も冷えてしまったではないか。まあ、それはそれでいいか。新たな口当たりも悪くない。
 ちなみに俺は牛乳は冷たくないと飲めないなんて、頭の固い考え方ではない。冬はもちろんホットだ。ホットにすると牛乳はまた趣を変えて、コレがうまいんだ。凄く優しい味になって……
 おっと今は目の前の牛乳を飲むことに集中しよう。早く飲まないとまたぬるくなってしまうからな。
 んく、ごく、ぷはぁっ。
 あー、やはりうまい。今の瞬間があるからこそ今まで生きて来られたんだ。きっと。
 また兄貴か。どうした? え、もうプリンを食べ終えた? 早いな。『お前が長いんだ』だって? ははっ、冗談はほどほどにしておいてくれよ。
 ん、『ひとこと言いたいことがあるから耳を貸せ』? なんだ手短に頼むぞ。風呂上がりのハイパー牛乳タイムは俺の生き甲斐なんだから」

「いいから、さっさと、服を着ろ!!!」
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それは二人の旅。

2009/10/11 17:00
 エメラルドブルー。きらきらと輝きどこまでも透き通っている青の海に身を任せていると、宝石の中を泳いでいるよう。柔らかな波が全身を包み、ゆりかごのようにゆっくりと揺られ続ける。静かな波の音は遠くに聞こえ、ここはまるで別世界。
 白く細かな砂が敷き詰められた海底にはところどころに色とりどりの魚たちが泳いでいる。そんな魚たちを眺めながらユウは一緒に泳げたらいいのにな、と思っていた。
「ここは本当に美しい海だね」
 泳ぐ魚たちをユウと一緒に眺めていたトリムがぽつりとつぶやいた。彼もまたこの楽園のような海を前にして、その美しさに心を奪われていた。ユウももっともだと思い、息を止めたままうなずいた。
 二人は海底近くでゆらゆらと揺れ続ける。何を探すのでもなく、何を求めるのでもなく、彼らは自然の一部になったように海に身を任せて揺られ続けた。
 何もせずに揺られているのが漂流物に思われたのだろうか、魚たちがユウの周りに無邪気に近づいてきた。ユウの顔は喜びでいっぱいになったが、魚たちを怯えさせたくないのでじっとしている。
 魚たちは近づいたり離れたりしながらユウの周りを泳ぎ続けた。それは一緒に遊んでいるようにも見える。ユウが親で、魚たちが周りを駆け回る子供。色とりどりの魚たちが泳ぐ姿はとても美しかった。
 そのうち、魚たちはユウのおなかや背中を突っつき始めた。ユウはくすぐったいのをしばらく我慢していたが、こらえきれなくなって身をよじった。すると魚たちはびっくりしたように一斉に逃げていった。ユウは残念そうに魚たちの後ろ姿を眺めた。
 その様子がおかしくてトリムは笑った。
「ハハハ、残念だったね」
 ユウはおもちゃを取り上げられた子供のように眉をハの字にしていたが、息が苦しくなってきて、名残惜しそうにトリムと共に水面に上がった。

 水面に浮きながら乱れた呼吸を整えると、ユウはすぐに満面の笑みになった。
「すごいよ! 魚と一緒に泳いだ!」
 水面下の出来事に興奮して落ち着いていられないのか、ユウは一部始終を見ていたはずのトリムに体験した出来事を語った。ユウの目はエメラルドブルーの海に負けないくらい輝いている。
 矢継ぎ早に語るユウの言葉に、トリムは静かに耳を傾けながら落ち着いた笑みで答えた。
「うん、楽しそうだったね。それにすごくきれいだった。ここに来られてうれしいよ」
 トリムの優しそうな細い目がさらに細められる。彼は心から嬉しかった。美しいものを見られたこと。ユウが楽しそうにはしゃいでいること。
 その日の彼らは飽きることなくすばらしい海を満喫したのだった。


 彼らが進んでいるのはまたも海。しかし海は海といっても木の海、樹海だった。海と呼ばれるほど広大に広がった木々は、どこまでも続いているように見えて、その大きさを感じさせない。一度入れば溺れるしかない、といわれているこの地を二人は歩いて抜けようとしていた。
 空を覆うように生え広がった葉のせいで昼間から薄暗くなっている道を、元気よく歩いている小さな影がユウで、その先を導くように進んでいる高い影がトリムだ。彼らの表情には一切の不安は見られず、むしろときどき出会う未知の動物たちに弾む気持ちが抑えられないようだ。

「あの木の鳥はなんだろう?」
 ユウが指差した木の枝には青い小さな小鳥がちょこんととまっている。
 トリムもユウが指差す方を見て小鳥を見つけるが、首を傾げた。
「僕も初めて見るよ。ルリビタキの仲間かな? そうだとしたら、きっときれいな声でさえずるよ」
 すると小鳥は指差されたのに気づいたのか、首を傾げて二人を見る。そして口をぱくっと広げて歌いだした。
「バーバラーガーガー」
 予想外の音に二人は一瞬きょとんとする。しかしその鳥がおかしな声で鳴いたのだとわかると、盛大に笑い出した。
「あはははっ! なにそれ、ヘンなのー!」
「ふふっ、おかしいね」
 二人が小鳥の方を見ながら笑い続けていると、小鳥は気分を害したようにぷいっとどこかに飛び去ってしまった。それを見て笑い声がさらに大きくなった。

 二人は森を進み続けた。足にはつらく厳しい道のりだったが、進むたびに新たな動物との出会いがあったので笑顔は絶えなかった。豊かな森の恵みでユウの食べるものにもそれほど困らなかった。困ったことといえば、ときどきユウが興奮しすぎて夜眠れなくなることぐらいだった。そんなときは寝ないトリムが一晩中子守歌を歌って聞かせたのだった。

「もうすぐ樹海は終わりだね」
 だんだん近くに見えてきた山肌を指差してトリムは言った。
 広大な樹海の長い長い道のりをさんざん歩いてきたはずのユウは残念そうに答えた。
「そっか。もう終わりか」
 何日も歩き続けてきたこの森では、様々な動物との出会いと、新たな発見があった。一期一会の瞬間の連続だったけれど、ユウにはもうこの森自体に愛着ができていた。昼でも薄暗い森には多くの危険もあったけれど、みんなが一生懸命生きていて、楽しく心躍る楽園だった。
 山から下りてきた強い風がトリムとユウを超えて吹き抜けた。木々はその葉をざあ、と鳴らす。トリムは長い髪を手で押さえて、目を細めた。
「ここは良いところだったね」
 その一言は風に乗って運ばれ、森の中へ消えていった。ユウも風に言葉を乗せるように「ありがとう」と小さくつぶやいた。
 風が吹き下ろしてくる中、二人は枝を揺らす木々を背に山へと向かった。


 山の雰囲気は樹海とはうってかわって静かなものだった。道なき道を行く二人の足音が異質に聞こえるほどだ。山の静けさに感化されたようにユウは黙々と歩いていた。
「ユウ。もし疲れているのなら、休憩してもいいんだよ?」
 元気のない姿が弱っているかのように見えて、トリムは心配の言葉をかけた。しかしユウは首を振って返した。
「これくらいなら大丈夫だよ。だけど……ここは全然楽しくないね」
「確かに山に入ってから一度も動物を見かけないね。臆病なのか、慎重なのか。
 水持ちの悪そうな土地だから、もしかすると数自体が少ないのかもしれないよ」
 トリムは持てる知識を使ってそれらしい説明をつける。だがユウにとって、動物に会えないことだけが問題で、理由は特に気にならなかった。
 ユウは黙ってしまい、二人はまた黙々と進むことになった。
 先を行くトリムは心配そうにちらちら後ろを見る。森ではしゃいでいたときのユウは年齢相応に幼く見えていたのに、今はすごく大人びている。それは決して良い意味ではなく、何かに疲れた、といった様子だ。
(やっぱり今までの旅の疲労がでてきたのだろうか)
 本人が気づかないところでの疲労というのもあり得た。しかしトリムは大丈夫と言われていたので、止めることはできなかった。
 二人は山頂に向かって進み続けた。

 山に入って二日目。空が黒く厚い雲に覆われていったかと思うと、ぽつぽつという雨音を皮切りに、急にどしゃぶりの雨が降り出した。それは彼らの旅の中で間違いなく一番と言える大雨で、雨が降るまでは見えていた山頂も影すらわからなくなるほどだった。
 二人は雨宿りできる場所を探しながら登り続ける。幸い目的地はもうすぐだったので、最悪このまま進み続ければよかった。それに、まだ日が昇ってまもなくだったので、雨宿りの場所が見つからないまま夜を迎える、という心配はなかった。だが心配するべきところは別にあるということに彼らはまだ気付いていなかった。
 ユウの歩みは確実に遅くなっていた。長旅の疲れもあったが、それ以上に雨で地面がぬかるみ非常に歩きにくい状態になっていたからだ。既に全身の服はぬれ、背負っているテントセットや食糧も水を吸って重くなっている。この雨ではトリムも休もうとすら言えなかった。
 ユウは濡れた地面をフラフラと上がっていく。見つめるのは数メートル先の地面だけで、何も考えずに進んでいる。顔に張り付いた髪の毛が嫌だとか、靴下がびしょぬれになって気持ち悪いだとかは、もう感じなくなっている。ただ地面が上に傾いている方向へ、山頂へ向かって歩いているだけだった。
 踏み出した足がずるっ、とボールを踏んだときのような感覚になったのはそのときだった。
 ユウの目が捕らえている世界がぐるりと回り、宙に浮かんでいるような開放感に襲われる。空から落ちてくる雨粒が一つ一つ見えるのではないかと思うくらい、時間が引き延ばされる。自分の短い戸惑いの声が他人事のように聞こえる。そして、目の前に大きな地面が迫ってきた。
 ユウの身体は十メートル近く転がり落ちていった。
「大丈夫、ユウ?!」
 派手に水しぶきを上げながら転がるユウを見て、トリムはすぐに耳元でささやいた。
 仰向けに倒れているユウはうう、と苦しげな表情でうめいた。幸いバックパックがクッションになって頭は打たず、意識は失っていなかった。全身が泥まみれになって、軽い打撲はたくさんあったが、出血や骨折などの大けがもせずにすんだようだ。
 ユウは雨を顔に受けながら、はあ、と大きなため息を一つついた。
「大丈夫?」
 トリムがもう一度心配の声をかけた。
「うん。ちょっとビックリしたけど、体は大丈夫みたい」
 トリムも安心してため息をついた。ユウの身に何かあったらと考えるとぞっとしたので、その反動から口元が自然にゆるんだ。
 ユウもそんな顔を見て笑い出した。
「はははっ。ごめんね、落っこちちゃって。それに、今までごめんなさい」
「うん?」
 ユウに謝られるようなことが思いつかなかったので、トリムは首をかしげる。
 申し訳なさそうだけれど、笑顔のままユウは続けた。
「落っこちてけがをして歩けなくなったら、って考えたら気付いたんだ。
 もともとこの旅はトリムのためだったもんね。なのにぼくは楽しくないからってだけですねていた。だからごめんなさい」
 ユウはそう言い終わると、打ち身で痛むはずの体を勢いよく起こして立ち上がった。一瞬だけ苦痛で顔が歪むが、無理してすぐに笑顔になる。
 その瞳はもう動物たちと戯れていたときのようなきらきらした目に戻っていた。たった一つ違うのは、その瞳の奥に決意が宿っていることだった。


 ユウの足取りはしっかりしていた。迷いなく一歩ずつ踏みしめるように、しかし重い荷物を感じさせないような軽い足取りで歩いていた。顔はしっかり上げて、目は目的地を捕らえている。
 雨はいつのまにか止んでいた。それは通り雨だったのか、にわか雨だったのか、はたまた山の天気の変わりやすさのせいだったのか。いずれにせよ雨が止んだおかげで、ユウはずいぶんと歩きやすくなっている。それに、ユウが転げ落ちた時点で既に二人は山頂近くまで登ってきていたのだ。今の彼らにとって、それはあってもなくても同じような距離だった。
 そして――
「とうちゃくー!」
 二人は地球が丸く見られるほどの高い山の頂に立った。

 それは、幻想的な世界だった。
 彼らの登頂を祝福するように、雨を降らしていた雲は割れ、太陽の恵みと言える光のカーテンを生み出した。そしてその光に呼応して七色の虹が架かる。光のカーテンが風に流されると、虹もまた流れていく。普段は見上げるしかない虹も、これほどの高さの山に登れば見下ろすことが出来た。
 地上には彼らが旅してきた様々な場所が見える。獣に襲われそうになった草原。オアシスが天国に思えた砂漠。魚と泳ぎ回った海。いろいろな生き物とふれあった樹海。
 その全てが一目で見渡せた。そしてそれら全てが驚くほど大きかった。
「きれいだね」
「うん」
 彼らはこの絶景を語る言葉を持っていなかった。「きれいだね」という言葉はただ"そこにある"ものを"そこにある"と確認するためだけのものだった。
 美しさは時々刻々と変化していく。雲は流れ、太陽は傾き、木々は揺れ、波は打ち寄せる。その景色は飽きる飽きないというより、消費しても消費しきれないほどの様々な美しさを持っていた。

 一時間ほど彼らはただ無言のまま景色を眺めていた。
 そのうちにユウがトリムの体に変化が起きていることに気付いた。
向こうが見えるほどに、透け始めていた。
「あ、トリムの体が……」
 ユウはあまり驚かない。なぜならばここに来た目的がそうであったから。
「うん。ここまで楽しく旅をして、そして最後にこの絶景なんだ。心残りなんて微塵も残らず吹っ飛んでしまったよ」
 トリムは楽しそうにふわふわ揺れながら言った。
 ユウも「そっか」と嬉しそうに笑う。
「でも、一つだけ心残りがあるとしたら、最期のお別れなのにユウを抱きしめられないことかな。
 だけどそれはわがまますぎるよね」
 トリムはおどけた表情で冗談を言った。
 ユウは無言でトリムの背中に手を回す。どうせすり抜けてしまうことを知りながら。
「気持ちだけ」
 不意を突かれたトリムの目は驚愕に見開かれる。そしてその目から涙があふれてくる。トリムは嬉しかった。最後の願いすらユウは叶えてくれたことに、熱いものが込み上げてきた。その涙すらユウをぬらすことはないけれど、そのおかげでトリムはためらわずに涙を流せた。
「ありがとう。これで本当に心置きなく"あっち"にいけるよ」
 涙で震える声でユウに告げる。もう別れが近いことを。
 二人は悲しまなかった。それはこれ以上ないほどの最高の別れだったから。望んでいたもの以上だったから。
 もうトリムの体はほとんど見えなかった。それでもユウはトリムがどんな表情をしているかわかった。 「最期は笑顔で」というのは二人の約束。
 トリムは最後の最期に、流れ星のようにまばゆい光を放って、ユウの笑顔を明るく照らすように輝いて、いなくなった。

                    Fin.
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悪人

2009/10/04 17:00
「じゃあさ、もういいよ」
 陽介の雰囲気はいつもからは考えられないくらい恐ろしいものになっていた。
 時は夕方。場所は屋上。冬の短い昼はそろそろ終わろうとしていた。低い太陽は影を長く作り、赤い太陽は色を一様に染めている。その中で立っている二人の姿がある。片方は陽介でもう片方は亮。亮は陽介に呼び出されてこの屋上に来ていた。
「な、何がだ?」
 亮は親友の今まで見たことのない恐ろしい無表情に怯んでいた。
「とぼけなくてもいいよ」
 陽介は無表情のまま亮へ詰め寄る。陽介の踏み出す一歩に合わせて亮は一歩下がる。オーラ、というものが実在していて彼を押しているかのようだ。
 そのまま一歩、また一歩とじりじり下がっていく。その姿は間合いを取っている剣士同士の戦いのようだった。今こそ決戦、決着をつけよう、そんなことを思わせる緊張だった。そしてゆっくりと二人は屋上の端まで歩いていった。屋上に高い場所特有の強く冷たい風が吹き抜ける。
 希な話だが、この高校の屋上にはフェンスや手すりといったものがない。ここが完全に立ち入り禁止で、使われることが皆無だからだ。つまり亮はもう後ろに下がれない状況だった。
「どうしたんだよ、陽介?」
 普段は絶対に見られない見下げたような目をした親友に亮は問いを投げかける。亮の顔は必死だった。ただならぬ親友の様子を心配してか、もしくは自分の身を案じてか。
 それをあざ笑うかのように陽介は言った。
「残念。理由はないよ」
 そしてポンと亮の胸を押した。亮も気づけないくらい静かな動きだった。不意を突かれた亮の体はゆっくりと後ろに倒れていく。壁のない、屋上の端から。驚愕と恐怖が入り交じった亮の顔が徐々に見えなくなっていく。
「あ、うああーーーっ!!」
 亮の声はゆっくりとフェードアウトするように落ちていった。
 そこで始めて陽介の表情が戻った。にやり、と不気味な、しかし極上の笑みだった。


 翌朝、陽介は美佐と共に登校していた。
「だからっ、陽介は黙って見せてればいいの!」
「宿題ぐらい自分でやった方がいいよ。ただでさえ授業中は寝ているんだから」
 薄い色の長い髪の毛をした女の子の方が美佐で、背の低い気の弱そうな男の方が陽介だ。彼女らは口論をしながら校門をくぐる。
「あんたは私のママかッ! くだくだ言っているとそのうち蹴るわよ!」
「まだ『ママ』って呼んでいるんだ。結構かわ――」
「う、うるさい!」
 美佐は空手部もびっくりするくらい慣れた蹴りを陽介に放った。陽介もまたボクシング部がびっくりするくらいの反射速度でこれをいなす。美佐と陽介は幼なじみで、昔からこうやって毎日二,三回はじゃれ合っている。美佐は否定しているが学校ではカップルのように思われている。

 そうこうしているうちに二人は昇降口に着いた。昇降口には学生たちがそれぞれ個人専用に使えるロッカーがずらりと並んでいる。ロッカーは靴を入れるために用意されたものだが、錠前型の鍵があるので中に教科書を入れるものもいる。しかし、たいていは陽介のように鍵をかけないで靴を入れるためだけに使っていた。
 陽介はいつものようにロッカーを開けて校内用の靴を取り出そうとした。ロッカーを開けると靴の上に置いてある手紙を発見した。手紙の色柄に見覚えのある陽介は慌ててその手紙を取り出して握りつぶした。握りつぶしたままその手をポケットに突っ込む。
 その慌ただしく何かを隠したその様子を見た美佐は疑問に思った。
「どうしたの? 何かあった?」
「なんでもないよ」
 陽介はさらりと笑顔で答えた。その笑顔を見れば誰も疑問を抱けないようなさわやかな笑顔だった。
 陽介の手の中にある手紙には『美佐から離れろ』と書いてあった。彼には中身を見なくてもわかっていたのだ。これは陽介にとっては六回目のことだった。ストーカーからの手紙。以前にもプライバシーを壊す写真や脅迫文が送られていた。


 一時間目が始まっても亮は学校に来なかった。一時間目の科目は数学で、この数学教師は一度も怒ったことがないという気弱な性格だったので生徒たちはひそひそとおしゃべりをしていた。
 特に亮の友人たちは亮が急に休んだことを話題にしている。
「陽介、なんで亮が来てないか知ってるか?」
 亮の親友が陽介であることはみんなが知っていたので、彼らは陽介に聞いていた。彼らは心配というより話題に上がるような噂を期待しているようだった。
「知らないよ」
 陽介はいつものように、いつもと全く変わらず柔和な表情で答えた。
 それはある意味ぞっとする表情だった。本当のことを知っていなければ絶対に見破れなかっただろう。そしてそんなことができる陽介は恐ろしいものだった。


 昼休み、陽介は結局美佐に宿題を見せなかったようで、美佐はかわいそうにも宿題を自力でやっていた。今やっているということは次の時間の英語のプリントだろう。そのプリントの難易度は結構なもので定期テスト並の難しさの問題が入っている。美佐はプリントにかかる自分の髪の毛を耳にかき上げて必死に問題を解いていた。
「この問題だけでも教えてよ」
 美佐は宿題を既に終えているであろう陽介に頼み込む。しかし陽介は一生懸命プリントの問題と格闘している美佐の横で悠々と弁当を食っていた。
「一切手を貸さないよ。美佐のためだよ」
「私のためって言うなら答えを教えて!」
「そんなに言うのならいいよ、見せてあげる。でも一生バカのままでいいの? 今度のテストも赤点だろうなー。その次のテストも赤点。それでもテストはだんだん難しくなっていくんだよ?」
「くっ」
 美佐は顔を真っ赤にして悔しがっていた。言い返せないが一矢報いる、というようにシャーペンの芯を飛ばして反抗していた。
 陽介は気にせずに弁当を黙々と食べ続ける。
「あ、そうだ」
 ふと何かを思いついたように陽介は箸を止めた。美佐も問題を解くシャーペンの動きを止めて顔を上げた。
「放課後、屋上に来てくれない?」
 陽介は美佐の目を見て言った。へらへらしている普段の彼ならあまりしない真顔だった。まとう空気がいつもと違った。
 美佐はいぶかしげな顔になる。屋上自体、待ち合わせをするような場所でもないし、そもそも立ち入り禁止だ。美佐が戸惑っていると陽介は美佐との距離を詰めて顔を近づけた。
「大事な話があるんだ」
 聞き取れないほどの小さな声でささやいた。美佐は顔を真っ赤にして目をそらした。それでも陽介の真剣な表情に何かを感じ取ったのかうなずいた。
 陽介は満足したのか近づけた顔を戻して柔和な笑顔で再び弁当を食べ始めた。しかしその後、美佐に見えないようにした陽介の表情は恐ろしいものだった。にやり、とそれだけで震え上がりそうな笑みをしたのだった。


 宿題も出来ず、弁当も喉を通らなかったようで美佐は五時間目に突入しても何もしていなかった。授業の終わりに宿題を回収するはずなのに美佐は宿題もせずに、それどころか授業も聞いていなかった。ずっと顔を赤らめたままうつむいてもじもじしていた。ときどきはっと気が付いたかのように顔を上げて授業に取り組もうとするがすぐに下を向いてしまう。本人は頑張って授業を受けようとしているだろうが実際はほとんど受けられていない。あの調子では恐らく最後までああしているのだろう。
 一方陽介は真面目に授業を受けていた。さっきのことも、朝に靴箱にあったストーカーからの手紙のことも、なんでもなかったかのように平然としている。先生と目が合うとうなずくところや考えるときにシャーペンを叩くところもいつも通りだ。
 こんな真面目で気弱そうな人物があのような笑みを浮かべられるなんて誰も信じられないだろう。だが彼の本性がどちらであったとしても、昨日の夕方に屋上から親友の亮を突き落としたこと、そして今日の放課後に美佐を屋上に呼び出していることははっきりとした事実だった。


 長い長い口上が唯一の取り柄とも言える担任のこれまた長い長いホームルームが終わると陽介は一目散に教室から出て行った。その足は決して駆けてはいないが、誰が見ても急いでいるのは明らかだ。彼は廊下をスタスタ歩き、階段を上っていく。最上階のさらに上、誰もいない屋上へ。
 陽介は屋上の入り口の重いドアをぎいっと鳴らした。ドアを半開きにしたまま屋上に出て行く。屋上は昨日と同じく夕日に赤く染められ、冷たく強い風が吹いている。陽介は昨日亮を突き落としたあの場所まで歩いて行く。
 スタスタと。急いでいるが焦らずに。確実に。
 そして、彼はその場所に立って、こちらを向いた。

「わかっているよ。出てきなよ、遠藤くん」
 "俺は"身を隠していたドアの影から身を乗り出した。

 運動部の練習に励む声が遠くに響く屋上で俺は陽介と対峙していた。
「君、ずっと僕を観察していたよね。隠す気がないんじゃないかというくらいキツイ視線が送られてきたよ」
 陽介のいうとおり、俺はずっと観察していた。穴が空くくらい見つめる、とはいうが本当に穴を開けたいくらいに見つめていた。授業中、休み時間、そして
 昨日の屋上。
「ずっと見ていた君ならこう思ったんじゃないかな。『美佐が危ない。突き落とされる』と」
 親友である亮を突き落とした陽介なら可能性はあると思った。俺が美佐を守らなければならないと思った。
「……そうだよ。俺はお前の昨日の行為を見ていたんだ。美佐ちゃんを助けようと思ったんだよ」
「やめてよ、そういうの。白々しいよ」
 陽介の顔から一瞬で表情が消えた。昼間に他人に笑顔を振りまいていた人物とはまるで別人のように見える。嫌な予感がし、全身の毛穴が一気に開いた。一筋の汗が背中を伝う。
「な、何がだよ」
「単刀直入に言うよ。僕をストーカーしていたの、君でしょ?」
「…………」
 予想外のことを言い出した陽介に言葉が詰まった。
「隠さなくてもいいよ。君だって自分で言ったじゃないか。『昨日の行為を見ていた』って」
 陽介は確信を持って言っているようだった。
「……それがどうしたっていうんだ。今は関係ないだろ! お前が美佐を突き落とそうとしたのが問題なんだよ!」
「違うよ。あれもこれも全部君のためなんだ」
 ……? 意味がわからなかった。
「いいよ、順を追って説明しよう。
 僕をストーカーしていて脅迫の手紙やら写真を送ってきていたのは君だよね?」
 陽介がいつどうやって調べたのかはわからなかったが、確かな証拠を掴んでいるのだろう。陽介の目は完全に自信のある色をしていた。しかし、俺はうなずけなかった。事実を認めれば退学、悪くて警察沙汰になるかも知れない。美佐がこの学校にいる以上、離れるわけにはいかなかった。
「僕もさすがに我慢できなくなって犯人を探り始めたんだ。するとすぐに犯人は誰かわかったよ。君、美佐に告白してふられたんだってね」
「!!」
 驚きで目が見開かれる。その事実は俺と美佐しか知らないはずだ。陽介が知っているということは美佐が話したのだろうか。恥ずかしがり屋の美佐が話すのは想定外だ。
 頭に自分でもわかるほど脂汗が浮かんできた。こうなると脅迫に使った「美佐から離れろ」という文句があだとなってくる。
「そして大方ふられた腹いせに僕を逆恨みしたんでしょ? 美佐が慕う僕を見て許せなくなってきたんだ。そして君は僕に嫌がらせを始めた」
「で、でもそれは正解だっただろ!? お前は親友を屋上から突き落としたサイテーなやつだったんだ! 俺は美佐を守ろうとしてやったんだ!」
 頭では考えていなかったはずなのに嘘がスラスラと口をついて出てきた。自分の意外な才能に助けられる。
 そうだ。陽介が亮を突き落とした事実を知っているんだ。陽介が腹黒いやつだったと証言して、俺は美佐を守ろうとしていたことにすれば――
「ざーんねん。そんな方便は通じないな」
 ポンと肩に手を置かれる。聞き覚えのある声に心拍数が跳ね上がる。信じられない気持ちが強制的に俺を振り向かせた。そこにいたのは

 亮だった。

「よう」
 亮が昔馴染みの友達にあったかのように気軽に挨拶をした。喉からは餅を詰めてしまったときのように声が出ない。俺は空気を求める金魚のように口をぱくぱくさせていた。
 屋上から落ちた人間は良くて骨折、悪くて死ぬはず――どう考えても無傷で済むはずがなかった。目の前でぴんぴんしている亮を見て俺の頭はパンク寸前だった。
「いや、そんな化け物を見るような目で見なくても」
「君を騙すために亮に協力してもらったんだ。昨日の僕たちのアレは全て、演技だよ」
 陽介がわがままな子どもを諭すような目でいった。亮も騙された俺を哀れんでか微妙な半笑いだ。
 昨日の屋上での彼らふたりの間のいざこざも、陽介の別人としか思えなかった豹変ぶりも、亮が屋上から落ちたという事実さえも全て、演技……なのか?
 今の二人を見る限り仲違いをした、ましてや片方が相手を屋上から突き落としたような関係にはとうてい見えない。どうみても仲の良い親友同士だ。
 では、本当に?
「で、でもあのとき本当に亮は落ちていったんだぞ!」
「そう見えたはず、だよね。そういうトリックだったんだから」
「トリック……?」
「そう、トリック。僕らは君を騙すためにあるトリックを使ったんだ。思いつくのになかなか頭をひねったよ」
「もったいぶらずに教えてやれよ」
 亮が口を挟んだ。早く種明かしがしたくてうずうずしているようだ。
「わざともったいぶってるの。まあ、いいや。
 ……屋上は何もないから隠れる場所は入り口しかない、僕はここに注目したんだ。君は隠れて僕らを観察するはずだから必然的にそこから見ることになる」
 陽介がドアの方を指差した。確かに俺はドアの影から二人を観察していた。
「だけどそのドアの方からだと地面は見えない。つまり本当に落下したかどうかは確認できないんだ」
「だ、だが、落ちていった声を聞いたぞ!」
「そう、そのために。亮には叫びながら落ちてもらったよ。ロープをつけてね」
「バンジージャンプの要領だな。それでもロープが伸びきった瞬間は身体がバラバラになるかと思ったぜ」
 ロープなんて見あたらなかった、といってもそれはどうとでもなるだろう。俺が見る位置は決まっているのだから陽介の体でいくらでも死角は作れる。
 つまりあれは俺に陽介が亮を突き落としたということを思い込ませるための寸劇だったのだ。そして俺はまんまと引っかかったのだ。血の気が引いて目の前が真っ暗になりそうだった。してやられたという悔しい思いよりも、俺が言い逃れできないように周りを固められている事実が恐怖だった。
「わかった? 君のストーカーは単なる妬みだよ。君は僕がうらやましくて憎らしかったんだ」
 俺に同情のまなざしが向けられる。後ろの亮も肩をすくめて哀れんでいるようだ。
 今これほど屈辱的なことはなかった。俺の非を責めていること。そこに至る経緯を哀れんでいること。俺より上の立場で俺を見ていること。
 もう、我慢ならなかった。
「うるさい! 俺がやったのはただの脅迫だろ?! お前は美佐と一緒にいれてもう十分幸せじゃないか! それくらいやられたって文句は言えないだろ!」
「……そうそう、もう一つ言い忘れていたことがあるよ。
 僕がこんな茶番を演じた理由、わかる?」
「知るか! お前は、お前は……!」
「これだよ」
 ポケットに手を突っ込んで小さなものを取り出した。その手に持っていたのは小型の機械だった。
「RCレコーダー。君の確実な証言を録音するためにね」
「俺は殴って言い詰めればいいって言ったんだけどなー。陽介って案外サドでよ。『社会的に死んでもらう』と言ったときの顔には俺もびびったよ」
 もう、完全に言い逃れが出来なかった。陽介はにやりと、一匹のウサギを追い詰めたオオカミを思わせるような、残忍な笑みを浮かべた。昼間美佐を誘い出した後に俺が見たこの笑みだけは演技ではなかったのかもしれないと思った。サド、というだけでは済まされない、相手を徹底的に追い詰めたときに悦を感じる猟奇的な性格を見た気がした。

 地平線に太陽が沈み、そろそろ暗くなり始めようとしている屋上で俺は陽介に追い詰められていた。もう何もかもが終わった気がした。陽介は確実な証拠を掴み、俺は言い訳できない言質を取られていた。
 俺は本当に社会的に殺されるのだ。そんな嫌な思いが確信に変わっていった。
 そして、次の陽介の言葉は俺がなにもかも信じられなくするには十分だった。
「それに、君は大本から勘違いをしている。美佐の本性を知らないだろう?」
 結局全てが陽介の手のひらの中だった。

                    Fin.
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ミステイクン・ロジック

2009/09/28 08:15
※【ウィズ・オア・フォー?】の続きです。

 やはり瀬尾はかなりの人気者だ。今まで我関せず、というスタンスだったから気付かなかったが、このクラスは瀬尾が中心となって動いていると言っていいほどだ。クラスメイトは絵でアドバイスを受けるときは真っ先に瀬尾に意見を仰ぐし、それに対する瀬尾は始終笑顔で親切に接する。第二の担任、と言うのがぴったりだろうか。性格、性別問わず瀬尾はみんなに慕われていた。
 昼休み、俺は教室の机にほおづえをついて瀬尾を眺めながらそんなことを考えていた。瀬尾は三人の女子とグループを作り、机をくっつけて昼食をとっていた。彼女らと瀬尾は親しい仲なのかどうかは知らないが、ときどき一緒にいる姿を見る。ここからでは話題の内容までは聞こえないが楽しく談笑しているようだ。
「おーい、一羅(いちら)。どうしたんだ? 最近よく瀬尾さんのことを見ているよな。何かあったのか?」
 知らぬ間に浩孝(ひろたか)が俺の前の空いている席に座っていた。
「なにもねえよ」
「ふーん、そうか? 別に言わなくてもいいけどさ。だいたい想像できるし」
 浩孝は俺の顔をのぞき込み笑った。勝手に想像するなと注意したかったが、じゃあ教えろよと返されたら不毛なことになりそうなので止めることにする。
 最近俺が瀬尾を観察しているのは下らない理由からだ。"あの"後、屋上で描いていた絵の完成したものを見せてもらって俺は思ったのだ。こんな絵を描ける人間というのは一体どんな人間なんだ、と。だから俺は瀬尾のことをよく知りたいと思った。いや、俺はどうのような人間になればあのような絵を描けるのか知りたいと思った。ただ、それだけだった。
 その昼休みは浩孝と雑談をして過ごした。瀬尾もそのグループでおしゃべりをして過ごしていた。


 次の時間の授業は座学だった。知識を養うことは大切だと理解しているが、俺にはどうにも合わないらしくずっと眠たかった。眠気と戦いながら授業を聞くが、眠らないようにするのに集中力を使ってしまって授業は全く頭に入らなかった。うとうとしているうちに時間はあっという間に過ぎチャイムが終わりを告げた。
 チャイムの音をBGMにして生徒たちが教科書やノートを片付けているとき、先生が付け加えるようにして言った。
「そうそう、言い忘れていましたが今回は課題があります。前回と同じ条件で絵を一枚描いてきて下さい。ただしテーマのみ各自自由に変更します。そう気張ることはありませんが真面目に取り組んで下さい。手抜きは受け取りませんからね。
 それと、一羅くんは後で職員室に来なさい」
 先生はそう言うと、では、と一礼して教室から出て行った。
 斜め前の席に座っている浩孝が振り向いて視線をこちらに送ってきた。何をしたんだ、と言う意味合いなのだろう。うとうとしていたのがまずかったのだろうかとも思ったが周りを見ると腕を枕にしつつ気持ちよさそうに寝ている者が何人かいる。授業の態度が悪かったというわけでもなさそうだ。浩孝にはわからない、と肩をすくめるジェスチャーを返した。
 何にせよ気になっていては気持ちが悪いので、俺はすぐに席を立って先生の後を追いかけるようにして教室を出た。


 職員室のドアを開けると先生はコーヒーを淹れているところだった。
「ああ、一羅くん。そこに座って下さい」
 先生は来客用のソファーを指差して座るように指示をした。黒い色の柔らかそうなソファーだ。俺が座ると先生も片手にコーヒーを持って向かいに座った。険しい表情ではないから、そう深刻な話でもないのだろう。しかしこの人はあまり感情を表に出さないタイプなので間違っているかも知れない。
「先生」
「うん。そうですね。私が呼んだのは個人的なことだったからですよ」
「どういうことですか?」
「先生という職業柄、生徒は公平に扱わないと行けませんからね。体裁というものがあるんですよ。
 私は個人的に一羅くんを応援しています。ですから今度提出してもらう絵のために少しアドバイスをしておこうと思ったんです。こっそりとね」
 手にしているコーヒーを口に含み、何が可笑しいのか笑みを浮かべた。
 アドバイスというのなら喜ばしい限りだ。あのとき俺の絵の提出を認めてくれなかったおかげで俺は成長できたわけだし、この人は本当に面倒見がいい人なのだろう。俺は若干前のめりに身体を傾けた。
「前回の絵はすばらしいものでした。非常にまっすぐな絵だった。もし優劣をつけるなら生徒の中で一番だったと言ってもいいです。ですがあのとき私はアマチュアだな、とも思いました。
 今回は『悲しみ』と『空』をテーマで描いてきて下さい。前回のようにごまかしではなく"本当の"意味でです」
「テーマは各自自由ってことでしたよね。描きたいものではいけないんですか? 俺は描きたいものを描ければそれが一番いい絵になると思います」
「そうですね。だから前回はとてもいい絵になったのでしょう。
 ですがそのままでいいと思いますか? この学校にいるということはプロを目指しているんでしょう? 描きたいものだけ描いて仕事をもらう。そんなことは一部の人しかできないのですよ。プロには生活と責任がかかっていますからね」
「しかし……」
 反論が喉から出かけたがぐっと飲み込んだ。これはアドバイスなのだ。俺より多くを見てきた先生からのアドバイスなのだ。
「わかりました。『悲しみ』と『空』のテーマで描いてみせます」
 俺はこのテーマでやり遂げる決心をした。前回よりもっといい絵を描こう、そう思った。


 その日の放課後、早速画材を持って屋上に来ていた。晩夏のきつい日差しが晴れ渡った空からさんさんと降り注いでいた。コンクリートから立ち上る熱気で下からも暑さが襲ってきていた。
 その中で既にこうやって一時間は立ち尽くしているだろうか。その間持った鉛筆は少しも動いていない。何を描くかすら決められないでいた。
「くそっ」
 俺は遂に耐えきれなくなって鉛筆を置いた。いくら考えても矛盾してしまうのだ。俺は何を描けばいいのだろう?

 前回のことで俺は『情熱で』しか描けないことがわかった。なのに今回は『悲しみ』と『空』がテーマだ。もしこのまま描けば前回の二の舞に、情熱で悲しみを描くことになってしまう。だからといって前回のようにテーマを無視することは出来ない。
 だが本当にテーマを守ることが重要なことなのだろうか。自分が感じたもの、見えたものを描くのが本物じゃないのか? 前回、学んだのはそういうことではなかったのか? テーマ通りに描く、それは自分に対して偽っていないのか。
 プロなら要求に応えて描かなければならないのだろう。だったらプロは偽っているのか? なら何故プロの絵は一流なのか。その絵は偽りか? 本物か?
 ――そもそも、絵とは何だ。

 気付くと汗で全身がびっしょり濡れていた。手の汗がスケッチを駄目にしてしまう始末だった。体温も上がりすぎていて気分が悪くなっていた。
 俺はもう今日は無理だろうと思って描くことを諦めた。結局最後まで鉛筆が動かないままだった。


 今日の授業はずっと上の空だった。昨日から答えがずっと出ず、そればかりずっと考えていたのだ。幸いすべて座学だったので気にされることはなかったが、内容は一つも頭に入っていなかった。
 始めて気付いたのだが集中していると座学もあっという間に終わる。できれば授業に対して集中していたときに発見したかったが。
 頭を悩ませながら今日も屋上に向かっていると、廊下で瀬尾が結構な量の教科書を運んでいるのを見つけた。普段から親切な瀬尾のことだ。自分から運ぶことをかって出たのだろう。
「瀬尾。持っているの半分運ぶぞ」
「あら、一羅くん。別にいいわよ? これくらい大丈夫」
「いいや運ぶ。相談したことがあるんだ。運ぶ代わりに聞いてくれ」
 あのとき答えを導いてくれた瀬尾ならこのことにも答えられるかもしれないと思った。
「強引ね」
「瀬尾だってどうせかって出たんだろ?」
「そうね。
 前から言おうと思っていたけど、一羅くん私のことをよく見ているよね。
 ……今日はそうでもなかったけど、昨日の昼休みは視線を感じたわ」
「気付かれていたのか。悪かった、じろじろ見て」
「謝らなくてもいいわよ。男性に熱い視線を送られて悪い気がする女性なんていないんじゃないかしら。それが気持ち悪くなければだけど」
 笑顔でそんなことを言うものだから、俺には俺の視線が気持ち悪いと言われているのか、そうでもないと言われているのかはっきりしなかった。
「それで相談の内容なんだが」
「ええ、何?」
「先生に今回の課題は『悲しみ』と『空』のテーマ通りに描けって言われたんだよ。前回のようなごまかしはプロでは通用しない、と」
「そうね。あれが通用するのは趣味まででしょうね。仕事としてはお粗末すぎるもの」
 やはり瀬尾はわかっていたのか。あのとき瀬尾は『おもしろい』と言っていたから作品自体が問題ではなく、テーマ通りでなかったことが問題なのだろう。
「でもテーマに合わせて描くってことは感情"で"描くことに矛盾していないか? 自分の描きたいものとは別のものを描かされるわけだから。その矛盾はどうやったら解けるんだ? それを聞きたいんだ」
「なるほど。相談の内容はわかったわ。……先生も急な成長を望むものね」
「どうだ、答えられそうか?」
「答えは出せないわ。いえ、教えたくない」
「え……どうしてだ」
「私が教えなければならない理由がない」
「クラスメイトにはよく教えているだろ!」
「……まるで子どもね」
 俺は言葉につまった。つい熱くなった気持ちが急速に冷えていく。何を考えていたんだ俺は。瀬尾に聞けば答えを教えてくれるとでも? 甘ったれただだっ子のようにせがんでいた?
 カッとなった自分が恥ずかしくなって、いたたまれない気持ちになった。
「相談に乗れなくて悪かったわ。教科書はもう運ばなくてもいいわよ」
「いや……、ちゃんと運ぶ」
 その後、無言で教科書を最後まで運んだ。


 毎日放課後になると屋上に通い鉛筆を握るがなにも思いつかない。座学の時間は全て答えを探すのに費やすがそれでも見つからない。そうしているうちに提出日の前日になった。
「大丈夫か? 最近明らかに寝不足だろ」
 昼休みになって、浩孝が目の下のくまを作っている俺を見かねて声をかけてきた。浩孝には既に相談しているので俺が悩んでいる理由は知っている。だから今までそっとしておいてくれたがさすがに体調が気になり始めたのだろう。
「提出日が明日だ……」
「一羅は絵に対して真面目すぎだよな。そこまでならないよ普通は」
「知らねえよ」
 先生や瀬尾にあれほど言われてもうテーマをごまかすなんて出来るはずがなかった。それはもう気付いてしまった以上仕方がない。
「おおーっ!」
 そのとき教室の真ん中の方で歓声が上がった。クラスメイトが何人か固まっていて口々に褒め言葉を言っている。その中心には瀬尾がいた。
 どうやら瀬尾が明日のための絵を完成させたらしくそれを見せているようだ。
「おお、瀬尾さんか」
「見せてくれ、とせがまれたんだろうな。気の毒に」
 その絵は抽象の油絵でさくらやひまわり、金木犀、水仙が描かれていた。タイトルを見なくともテーマがわかる。『四季』だ。ストレートだが確実に力強く訴えかけてくるのがある。シンプル故に作者の技術が大きく出ることを存分に生かしている。それぞれの花も――
「あ?」
 絵を見ていてあることに気付いた。椅子から無言で立ち上がる。「一羅?」と浩孝がいぶかしげな表情をしていた。

「瀬尾」
 俺は瀬尾を褒め続けている女子たちの間に割っては入った。空気がしんと静まりかえる。
「その右下のひまわり、色を混ぜるべきじゃなかっただろ。抽象画ならなおさらだろ」
 そう、ひまわりは強い花で、しかも夏の代表だ。たとえ色がキツ過ぎたとしても原色を使うべきだったはずだ。
「それは瀬尾さんの個性でしょ」
 絵を褒めていた一人が眉間にしわを一本入れて反論してきた。すると不思議なことに口々に俺の意見に対する反論が巻き起こった。
「瀬尾さんなりの考えがあるのよ」
「深いのよ、一羅くんに理解できるの?!」
「瀬尾さん。こんな妬みは気にしなくていいからね」
 瀬尾は表情を変えずに黙って聞いていたが遂に口を開いた。
「自分の絵であれほど悩んでいたのに他人の心配している場合?」
 教室ではほとんど笑顔を絶やさない瀬尾にしては珍しく無表情だった。周りからは俺に対する失笑が漏れた。俺は驚きで目をまん丸にして、こん棒で頭を打たれたようにフラフラと自分の席まで戻っていった。
 俺はショックだった。瀬尾は絵に対しては理解があるやつだと思っていたので否定されると思っていなかった。
「なにやっているんだよ」
 浩孝が明るく冗談めかして話し続けていたが、俺は適当な相づちを打つだけだった。


 放課後になって屋上に向かった。解決法が見つからない上に、こんな気分ではどうせ何もできないだろう。だがほぼ日課になっているのだ。
 屋上の扉を開くとそこには親友が待っていた。
 親友は「自分も赤札が届いた」と言った。俺はいつか来るだろうと覚悟していたのに涙があふれた。多分この戦争では生きて帰っては来れない。自分も一緒に行けたら、と自分の片腕を呪った。この右手は子どもの頃に空爆でやられて既に動かない。親友は「守ったる、守ったる」と言いながら涙を流していた。俺も「男は、泣くもんじゃ、なかと」とボロボロ涙していた。

 俺は自分の涙が頬を流れる感覚で周りが見えてきた。"彼"と親友の別れが描かれた絵の横に瀬尾が立っていた。あたりも普通に学校の屋上で空も普通に晴れていた。
「自分の描いた絵で泣いてもらえるなんて、少し興奮するわね」
「瀬尾……」
 どうやらその絵は瀬尾が描いたものらしかった。そうか、俺は瀬尾の絵を見て泣いていたのか、と思うとその事実に愕然とした。これほどのレベルの者が同じ年齢だとは信じられなかった。
「どうしたんだよ、この絵は」
「さっき描いたのよ。気付かなかったかしら? 午後の授業はサボらせてもらったわ」
 またもや愕然とした。これほどのものをたった数時間で仕上げのか。本当に彼女は俺が超えようとしていいレベルなのか?
「あなたの悩み相談、今ここで答えを出してあげる」
 瀬尾は自嘲するような笑みをしていた。
「一羅くん? 今戦争なんか起こっていないわね?」
「あ、ああ……」
「だったら私がこれ情景を見たことがあると思う?」
「ない、だろうな」
「良かった。まだ若いつもりなのに、あると言われたらどうしようかと思ったわ。
 じゃあ見たことがないものを描けたのはどうして?」
「想像、か?」
「そう。私の空想。私は戦争を体験したわけではないし、悲しい別れを見たわけでもない。でもこの絵を描けた」
 現代の人が戦争の悲惨さや苦しみを知るには、本や映画を通じてでしか出来ない。
「それと一緒。プロは要求に合わせて想像するの。感情を思い込み、操り、引き出すの。それでも駄目なら探すわ。悲しみ"で"描きたくなるような空を。全国回ってでも」
「……そうか」
 情熱で情熱を描くというプロセスに間違いはなかったのだ。テーマが悲しみなら悲しみで描けばいいだけのことだったのだ。俺は情熱でしか描けないと自分の限界を決めつけてそこから飛び出そうとしなかったから、立ち往生してしまったのだ。
「そうか、プロの絵には元々矛盾なんて無かった、本物だったんだな」
「美しさを描きたければ美しいものを見ればいい。痛みを描きたければ針で自分を刺せばいい。それだけのこと」
 結果を出すために妥協するのではなく手段を探す。昔の俺なら当たり前のことだったはずだ。瀬尾に伝えられるまでわからなかったとは。
 そう考えると俺の悩みは馬鹿らしく思えてくる。箱を開けるのに足で開けるか口で開けるか悩むようなものだった。開けてからが本題だというのに。
 瀬尾にはまた教えられてしまっていた。
「でもどうして今更教える気になったんだ」
 瀬尾はばつが悪そうに斜め下を向いて答えた。
「すぐに教えなかったのは……悪かったわ。一羅くんの実力に脅えていたのかも。はっきりとはわからないけど褒められた理由ではなかったの。ごめんなさい。
 昼休みに躊躇無く私の絵の間違いを指摘した一羅くんを見て思い直したのよ」
「そうか。おかげで絵を描くことが出来そうだ」
 本当に瀬尾のおかげだ。教えてくれなければ、今回の提出だけどころかずっと絵を描けなくなっていたかも知れない。
「それは良かった。じゃあ、頑張って完成させてね。私も今から描き直すわ」
 描き直す? 俺が昼休みに指摘したあの『四季』だろうか。でもあの絵なら――
「修正するだけでは駄目なのか?」
「完璧主義者なのよ。修正しても描き始めから間違いを含んでいたのだから、全体にひずみが出るの。
 それにたとえ新しく描けなくても私なら一羅くんが泣いてくれたこの絵を提出するわ」
 やはり凄いやつだった。今からの時間であの『四季』以上のものを仕上げるのには想像を絶する労力が必要なはずだ。少なくとも俺には不可能に思える。

 瀬尾が去っていった屋上で俺は既に絵を描き始めていた。瀬尾を超える日は近くないだろうが、今日のことでまた一歩進めた。目の下のくまはひどかったが、眠気は全然無かった。鉛筆を握るともう絵のことしか考えられなくなっていった。

                    Fin.
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離れられないこと。

2009/08/23 08:00
 私が「大学はどこに行くのか?」と親として当然のことを聞いたのがきっかけだった。そのとき佑也は大学名は答えたが、そこに行きたい理由を教えてくれなかった。私が理由を言うように無理強いしたのが悪かったのだろうか、佑也はそれ以降私に憮然とした態度をとるようになった。

 日もすっかり沈み時計の針が9時を指す頃、佑也はようやく家に帰ってきた。私は立ち上がって玄関まで迎えに行った。
「おかえり、佑也」
 焼き肉に行ったときに服に染み付く特有のにおいをさせていたので、夕食は外で食べてきたのがわかった。
「……チッ、なんだよ」
 私の顔を見たとたん不機嫌そうな顔になる。茶色に染めている髪の毛の間から覗く目が険しいものとなっていた。最近佑也に嫌われているのはわかっているが、それでも臆さず聞いた。
「そろそろ大学を選んだ理由を教えてくれないか。父さんは親として知っておかなくちゃならない。佑也が教えたくないらしいのはわかるが、どんな悩みも話さないと相談もできないだろう? 少しでいいから話してくれないか」
「あんたに俺の気持ちはわからねぇよ。今までマジメマジメで生きてきたやつにはな。別に気持ちをわかって欲しいって訳じゃないけどよ。
 とにかく、あんたは首を縦に振ってればいいんだ」
 佑也は玄関から上がって自分の部屋に行った。
 ……わからない。大学を選んだ理由よりも、なぜ話してくれないのかがわからなかった。私は今まで模範的とは言えなかったが、割としっかりとした親だったはずだ。佑也が生まれてすぐ妻を亡くして男手ひとつで育ててきたが、佑也を放っておいたわけではない。むしろ積極的にコミュニケーションをとっていた。まだ素直だった頃はよく一緒に遊んだりもした。
 いくら考えてもやはりわからなかった。


 勤務時間が終わって帰る用意をしているときに「飲みに行かないか」と誘われたので、同期の松原と一緒に飲みに行くこととなった。普段なら直ぐに帰宅するのだが、佑也があの状態なので誘いを受けることにしたのだ。
 入った店は落ち着いた雰囲気のバーだった。カウンター形式の小さな店で、木を基調とした内装、明るさを抑えめにした照明がお洒落な一件だった。私たちは並んで椅子に座る。ここにはよく来るらしく、松原はマスターに「いつもの」と注文していた。
 私はマルガリータを頼んだ。松原に任せて酔いたい気分だった。
「最近何かあったのか? こうなんか……活気がないというか、覇気が感じられないぞ」
 松原は手にしたカクテルに視線を落としたまま聞いた。
「少しな。最近息子が口をきいてくれないんだ。反抗期なのか私から話しかけても怒ってね。息子は受験生なんだが、選んだ大学へ生きたい理由を聞いたら気に触ったらしく、それ以来まともに話せていない」
 私は愚痴っぽくこぼす。松原も三児の親なので何かわかるかもしれないという期待もあった。
 松原はカクテルを飲み、グラスを空にしてから答えた。
「それならもっと強く言わないと。叱るぐらいな。理由を話さないことじゃなくて、真剣に話し合わないことを怒らなければならないんだ」
 私もカクテルをぐっと飲み干した。なるほど、私は少し佑也に対して甘すぎたかも知れない。ときには厳しい一面を見せる必要があるということは理解できる。
 落ち込んでいる私を元気づけようと酒の席に誘ってくれたこともそうだが、松原には感謝しなければならない。その夜私は新しい道が見えた気がしたのだった。


 次の日の朝、私は佑也が起きてきたところを捕まえて「話がある」と言って座らせた。
「大学を選んだ理由についてなんだが」
「チッ、またその話かよ。しつこいんだよ」
「選んだ大学について不満がある訳じゃないんだ。選んだからには理由があるんだろう? それを聞かせて欲しいだけなんだ」
 佑也は黙って立ち上がろうとする。
「佑也! ちゃんと話しなさい! 話さなければなにも解決しない。父さんもお前の選択を許すことはできない。このまま黙っていたら絶対に大学に入れてやることはできない!」
「……っ! くそ!」
 走るように部屋に戻って戸をバタンと閉めた。
 結局また一緒だった。いや、むしろ状況は悪化したように思える。
 絶対に話さないつもりなのか。話せない理由があるのか? だったら私のしていることはただの嫌がらせになるのでは? 
 その日の私は佑也に声をかけないまま出勤したのだった。


 今日の場合「飲みに行かないか」と誘ったのは私の方だった。松原は半ばわかっていたらしくあっさりとうなずいた。
 飲みに行ったのは昨日と同じ店で、二人とも昨日と同じものを頼んでいた。
「どうなった……かは言わずもがなだな。今日の様子を見ていたらわかったよ」
 松原が話を切り出したのはカクテルが二杯目に移ってからだった。
 私は今朝の佑也の様子をかいつまんで説明した。私が話をしている間、松原はカクテルにゆっくり口をつけていた。
「……というわけだ。私の何が悪かったのだろうか。せがれには事情があって、聞くこと自体悪いことだったのだろうか」
「悪い、悪くないで言えばなにも悪くはないな。むしろ始まってさえいないんだ。これからだよ。息子さんと腹を割ってもっと話をするんだ」
 松原はある程度の確信を持ってそう言っているようだったが、私には納得ができなかった。もし本当に佑也が話せない事情を抱えているのならこれ以上の詮索は迷惑になるだけだろう。
「私の行動がただのお節介だとしたら? せがれは有無を言わせないようにしたがっていたから、その可能性もあるのではないか?」
「お客様、失礼ですが」
 意外なことにバーのマスターが答えた。
「私も松原様と同意見でございます。差し出がましい提案ですが、息子さんと喧嘩してでも話し合ってはいかがでしょうか。
 どんなに嫌なことを言っても言われても結局一緒の時間を過ごさなければなりません。だからこそ強固な絆が作られます。友人では絶対にできないことです。私はそれこそが家族の強みであると思っています」
「そうして『本音』で語り合える空間ができていくんだな。家族が唯一無二なのはそういうことだろ?」
 松原も追随する。
 本音で語り合える家族かと聞かれれば、確かに我が家はそうではないかも知れない。彼らが言う家族になるためには腹を割って本音で語り合わなければならないのか。
 そうか。つまり私は佑也に嫌われるのを恐れ続けていたのだ。だから今まで深く踏み込めなかったのだ。わかってしまえばすることも決まる。なんて簡単なことだったんだ。

 私は手にしたグラスを傾けた。ほのかな甘みとライムの酸味が口当たりのよいカクテルに仕上げている。
「このカクテル美味いな」
「ああ、とても。もう一杯もらおうか」
 その日は珍しく深酒だった。


 翌朝、起きてきた佑也を前日のように座らせた。
「またかよ。いくら言っても話さないぜ」
「いや、話してもらうぞ。話すまで絶対に諦めないからな。
 父さんに大学を選んだ理由を教えなさい」
 それに対する佑也の反応は昨日のものと全く変わらなかった。立ち上がって部屋に戻ろうとする。私はそれを引き留める。
「理由ぐらい親に話しなさい! 今まで育ててもらったんだろう? 恩義を忘れるというのか!」
 少々荒っぽく怒鳴った。今は佑也に嫌われたとしても長い目で見ればこれは正しいことであるはずだ。今からでも遅くない。本当の家族を作り上げねばならない。
「……チッ、それを持ち出すなんてあんたは卑怯だよ! クソッ、マジで胸くそ悪い!
 ああ、そんなに聞きたいなら教えてやるよ! 俺がその大学を選んだのはな、ダチがそこに行くからだよ!」
 佑也は吐き捨てるように嫌々言った。
「友人……あの品のよくない連中が行くからだと言うのか?」
「あんたならそう言うと思ったよ! だから言いたくなかったんだ、クソッ!
 俺はな、あんたみたいな奴らにダチの悪口を言われるのが一番嫌いなんだよ!」
 佑也が「ダチ」と呼ぶのはあまり素行の良くない、いわゆる不良と呼ばれる者達だった。佑也が彼らから良くない影響を受けているのは明らかだった。既に佑也も不良の一因となっている。
 しかし、私が彼らを否定することができるだろうか。私が「本音を話せる空間」である家族を提供してこなかったら友人をよりどころにしていたのでは? 故に私が原因なのではないだろうか。
 だから私は本音で答えた。
「父さんはその連中を認めることはできない。おそらく一生だ。
 だが、そういうことなら大学は行ってもいいぞ。友人は大切だ。それは最近嫌というほど実感したからな」
「ふん、だったら最初からうなずいておけよ……。意味なく俺が気分悪くなるだけだろうが」
 佑也はそれを捨て台詞のようにして立ち去ろうとした。以前の私ならそこで会話は終了していただろう。だが、以前の私は以前の私だ。
「いや、意味がなかったわけではない。父さんが佑也の大学を選んだ理由を聞けたことに意義がある。これは本当に大切なことだったんだよ」
 そう。私が聞きたいと思わなければ、松原とマスターがいなければ、私は家族というものを知り得なかっただろう。
 確かに佑也はもう大人に近い。だからといってこれは遅すぎたのだろうか。そんなはずはない。今からでも十分だと私は思う。
 佑也は振り返って言った。
「ああそうですか。良かったなそれは。はいはい、おめでとーってか、ハッ」
 そのとき佑也は"わざわざ振り返って"嘲った。今の私ならわかる。これも一つの前進なのだと。

 その日の夜の松原と飲むマルガリータは格別だった。

                    Fin.
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アイ アム ア ロボット

2009/08/16 17:00
「もうお別れだね。」
 その声は滑らかで中性的な声だった。子供の声のようでもあったし、大人の声のようでもあった。けれど、その声の持ち主は男でも女でも子供でも大人でもなく、ロボットだった。
 コーコは震える声で「うん」とうなずいた。コーコは今までの楽しい一週間を思い出していた。突然宇宙からロボットがやってきた日のことや、ロボットと冒険した日のこと、一日中宇宙のお話を聞かせてもらった日のこと。毎日新しいことだらけであっという間だった。
「僕の仕事はもう終わったから帰らないといけない。ごめんね、コーコ。せっかくお友達になれたのに。」
 コーコはまた「うん」とうなずく。ロボットはおうちに帰って"えねるぎー"を食べないと死んじゃう、と知っていたから首を振ることはできない。
 ロボットはコーコより小さな身体だったが、手を伸ばして頭を撫でる。コーコはこれが好きだった。ロボットの手はつるつるでひんやりとして気持ちよかった。
「ロボットは始めてあったときのことを覚えてる?」
「うん、覚えているよ。コーコは目をまん丸にして驚いていたね。」
「いきなり話しかけてきたんだもの。」
「この一週間のこと全部覚えているよ。コーコに出会ってから今までのことはずーっと全部。地球は見たことのないことだらけだったよ。そういえば、いじめっ子をやっつけた日もあったね。」
「ははっ、あれはおかしかったね。だってロボットが考えたとおりになったもん。」
 コーコは思い出しておかしくなって笑った。
「これからは一人でやっつけられるようにならなくちゃいけないよ。」
「……うん、そうだね。」
 コーコはロボットがいなくなることを実感した。これからは一人で何もかもしなくてはならない。一緒に過ごしたのはたった一週間だけどもっと前から一緒にいた気がする。
 別れの挨拶にコーコはロボットを抱きしめた。ロボットの身体はかたく、金属のにおいがした。コーコにとってはそれはもう落ち着くにおいになっていた。
「そうだ。コーコにプレゼントがあるんだ。」
 そう言うとロボットは小さなロボットを取り出した。それは自分と同じ姿をした小さなロボットだった。
「さみしくなると思ったからね。ロボットは賢いロボットは作れないきまりだからあんまり賢くないけど、一緒に遊ぶぐらいならできるよ。」
「わぁ、すごい……」
「コンニチハ、こーこ。ヨロシク オネガイシマス。」
 小さなロボットは前にロボットがしたのと同じようにコーコに挨拶した。
「ロボット、ありがとう。」
「うん、僕もありがとう。コーコと会えてよかったよ。」
 最後にもう一度ロボットはコーコの頭を撫でた。


 宇宙船でロボットはワープ航法に入る準備をしていた。もうすぐ太陽系から出るので準備を終わらせなければならない。
 そのとき足下の段ボール箱がごそごそと動いた。この段ボール箱はコーコにもらったものだ。何が入っているか知らないが、コーコがプレゼントのお返しとしてくれたものだった。
 ロボットは不思議に思って段ボール箱を開けた。そこにいたのは小さなロボットだった。
「あれ? どうして君がここにいるんだ?」
「コンニチハ、ろぼっと。ボクハ こーこニ イワレテ ココニ イマス。」
「コーコに言われて?」
「こーこハ イイマシタ。ろぼっとハ オウチニ カエル アイダ ウチュウセンデ ヒトリボッチ ナンデショ。 ダカラ サミシクナイ ヨウニ ハナシアイテニ ナッテアゲテ。」
 ロボットは驚きだった。コーコは小さなロボットをもらって喜んでいるようだったが、同時にロボットの一人ぼっちの宇宙の旅を心配していたのだ。
「僕なら活動を停止すれば一瞬で着くというのに」
「オハナシ シマショウ。ろぼっと。」
 ロボットは通信パネルを開いた。宛先は自分がやってきた星だ。
 通信を打ち終えるとロボットは最高の気分になったのだった。

 ―― I am a robot.
    I cannot violate rules.
    But, I have a friend.

                    Fin.
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